韓国で、金大中候補が大統領になった時の選挙の雰囲気を、韓国人視点でご紹介します。

目次
- ○ キムデジュン(金大中)大統領は、日本でも名前がよく知られていますね。
- ・キムデジュン(金大中)大統領候補が、1997年12月の大統領選挙に立候補した時、、一般的には、大統領に当選するとは全く思われていませんでした。
- ・しかし、与党内に異変が起きました。与党内で行われた「大統領選挙の候補者を選ぶ選挙」に負けたイインジェ(李仁濟)候補が、党を割って出てしまい、単独で立候補しました。
- ・そこに、イフェチャン(李會晶)候補の2人の息子が、体が健康なのに軍隊に行かなかったことが明るみに出ます。
- ・その結果、イフェチャン(李會晶)候補に行くはずの票が、イインジェ(李仁濟)候補に流れたと思われます。イインジェ(李仁濟)候補は、予想以上の得票をします。
- ・キムデジュン(金大中)候補は、漁夫の利のような形で当選したわけです。
- ・イインジェ(李仁濟)候補は、その後、キムデジュン(金大中)大統領所属の政党に入り、今もそのまま、同じ政党の流れで、共に民主党(더불어민주당)の国会議員です。
- ○ キムデジュン(金大中)大統領は、任期中に、その後の、韓流ブームの基礎を作り、IT強国の基礎を作り、韓国唯一のノーベル平和賞ももらいました。
キムデジュン(金大中)大統領は、日本でも名前がよく知られていますね。
私も、何度か、日本のマスコミで紹介を見たことがあります。それを見ると、だいたいが、キムデジュン(金大中)大統領は、韓国の民主化の流れの中で、国民の支持を受けて、なるべくして大統領に選ばれたかのように書いてあることが多いようですが、それはちょっと違うなぁと思うので、今日は、その話をします。今から、20年以上前の話です。
キムデジュン(金大中)大統領候補が、1997年12月の大統領選挙に立候補した時、、一般的には、大統領に当選するとは全く思われていませんでした。
それが、1987年の民主化後、3度連続の大統領選の立候補でしたが、地盤が人口の少ないチョンラド(전라도・全羅道)ですから、人口の多いキョンサンド(경상도・慶尚道)地盤の与党候補にかなうわけがありません。
3回連続落選だな。万年2番のキムデジュン(김대중・金大中)、一般的には、そう思われていました。
しかし、与党内に異変が起きました。与党内で行われた「大統領選挙の候補者を選ぶ選挙」に負けたイインジェ(李仁濟)候補が、党を割って出てしまい、単独で立候補しました。
与党分裂です。と言っても、与党候補のイフェチャン(이회창・李會晶)候補が圧倒的に強く、イインジェ(이인제・李仁濟)候補の勝ち目は、誰が見てもありませんでした。次の次の大統領をにらんでの名前の売り込み、そのくらいに思われていました。
党内の選挙に負けたら、普通は、おとなしく、党内で次の大統領選挙の候補を狙う準備をするのですが、何を考えて党を出たのか、よくわかりません。
つまりは、与党は分裂したけど、この時点では、与党候補のイフェチャン(李會晶)候補が負けるはずはなく、キムデジュン(金大中)候補は年も年だし、これが最後の選挙だな、この大統領選挙で政治家引退だな。一般的にはそう思われていました。
そこに、イフェチャン(李會晶)候補の2人の息子が、体が健康なのに軍隊に行かなかったことが明るみに出ます。
選挙期間には、候補者に対するネガティブキャンペーンというのでしょうか、そういうのは多いのですが、自分の息子を「軍隊逃れ」させたというのは、大きなイメージダウンになりました。
その結果、イフェチャン(李會晶)候補に行くはずの票が、イインジェ(李仁濟)候補に流れたと思われます。イインジェ(李仁濟)候補は、予想以上の得票をします。
選挙の結果は、
キムデジュン(金大中)候補が得票率 40.3%
イフェチャン(李會晶)候補が、38.7%
イインジェ(李仁濟)候補が、19.2%
キムデジュン(金大中)候補が次期大統領に当選しました。キムデジュン(金大中)候補の支持者たち、特に全羅道は熱狂しましたが、一般的には、まさかの結果です。
キムデジュン(金大中)候補は、漁夫の利のような形で当選したわけです。
もし、他の国によくある、1位の得票率が50%に満たなかった場合、上位2人で決戦投票をするというシステムが韓国にあったら、間違いなく、イフェチャン(李會晶)候補が当選していたはずです。
でも、韓国では、得票率が低くても、1位になれば当選です。
1987年の民主化以後の大統領選挙で得票率が50%を越えたのは、2012年の選挙の時のパククネ(박근혜・朴槿恵)候補がはじめてでした。50%と言っても、ぎりぎり過半数、僅差の勝利でしたが。
イインジェ(李仁濟)候補は、その後、キムデジュン(金大中)大統領所属の政党に入り、今もそのまま、同じ政党の流れで、共に民主党(더불어민주당)の国会議員です。
そのため、この時の選挙は、ひょっとすると、キムデジュン(金大中)候補の所属政党側が裏工作を行い、イインジェ(李仁濟)候補に大金を渡すなどして、与党分裂を図ったのではないか、そんなふうに思えるような結果でした。
キムデジュン(金大中)大統領は、任期中に、その後の、韓流ブームの基礎を作り、IT強国の基礎を作り、韓国唯一のノーベル平和賞ももらいました。
政治家として、しっかり仕事をしたことは間違いないのですが、ただ、1997年の大統領選挙当時の韓国国民が、その時の停滞した政治の流れを変えるため、キムデジュン(金大中)候補を熱烈に応援し、投票し、必然的にキムデジュン(金大中)候補が大統領になったかのような記事を日本で見ることがあるのですが、それは?な感じがするので、今日は、ここで紹介しました。